ユネスコ世界遺産のご案内

イタリアには多くの世界遺産があります。

過去から引き継がれた
貴重な宝物を大切に共有しましょう。



マテラのサッシ

新しく再生する街、マテラ

”毎回訪れるたびに変化している”それが率直なマテラの感想。 サッシと呼ばれる洞窟住居がある地区に点在していたモニュメントに説明が付けられ、 そこまでたどり着くのにも、案内板がちらほらたつようになり、 私のように、道を知らない観光客にちょっと優しくなったような気がする。 とはいっても、まだまだガイドなしで「ここはどこ?私は誰」状態。 地図を片手にといっても、どこも似たような廃墟地区でまったくのお手上げ状態。 ガイドのエンゾさんと共に廃墟の中を歩くと、近代風に改築した面白いホテルの話や、 洞窟住居の中でおみやげの焼き物に色をつけているおじいちゃん、昔の暮らしぶりを紹介した家など、 あちこち説明してくれる。彼のようなマテラに住む若者達のこの町を守ろうとする、 モチベーションの高さと、行動力でマテラはもっと素敵な街になりそう。

映画”パッション”がマテラで撮影される
キリストの「受難」を描いたメルギブソンの作品 。イバラの冠をかぶらされ、重い十字架の横木を背負い、ゴルゴダの丘で両手両足を釘打ちされた十字架刑の事実を、映画化した。 凄惨感が話題を呼びローマ法王をも巻き込んでの論争に…。マテラでは、特に十字架に貼り付けになったキリストのシーンが撮影された。

世界遺産リストに登録するにあたっては、どのような点で世界遺産としてふさわしいのか、 クライテリア(登録基準)が設けられています。マテラはC(iii)C(iv)C(v) とCの基準をクリアし1993年ユネスコの世界遺産に登録された。
渓谷の反対から見るマテラ

★車で町を出て、Laterza、Taranto方面へ。反対側から見るマテラの町。原始時代を思わせる手つかずの洞窟住居が点在する地区へはナポリ発着日帰りツアーで可能(要リクエスト)

マテラの町歩き
場所を示す矢印が点在する
ロマネスク様式の美しい大聖堂のある、チビタ地区は、町一番の高台。 大聖堂をはさんで南側がカベオーゾ、 北側がバリサーノ地区。岩場の居住地をサッソと呼び、 複数形がサッシとなるわけだ。 マテラはイタリアでよく見られる、凝灰石で、なんと、先史人が自然の侵食でできたさまざまな形の穴を利用してすでに住み着いていたのが起源。 何層にも重なり合って、崖の下から上へ伸びている洞窟住居なので、家屋の屋根が道路だったりするのは当たり前。 そして、5〜10軒の小さなコミュニティ(ヴィチナーティ)毎に、公共の中庭や井戸があるスタイルが特徴的。 町の中には洞窟教会への道順が書かれた看板もあり、以前に比べ、格段に解りやすくなってた。マドンナデイドリス教会の向かいには、Osteria Museoもあり、ツーリストメニューが一人15ユーロで食べ切れないほど出てくるのだ。
サッシ(洞窟住居)再生のストーリー
 第二次世界大戦後、近代的スタイルを合理性とし、貧しい人が住み続けた、ごちゃごちゃした非衛生なこの洞窟住居は、 「南イタリアの悪夢」とさえ言われるようになる。実際当時は竪穴式の住居の中に、人間と家畜が同居し、さらにキッチン、トイレも同空間にあり、 何でもござれ状態の生活。追い討ちをかけるように、カルロ レーヴィが著「キリストはエボリにて止りぬ」の中で、人々の生活を 描写したことにより、イタリア全土に向けマテラの状況を告白することとなる。
 その後イタリア政府の指導の下、人々は洞窟住居を後にし、高台の新市街区へ移動ししばし人々の記憶から忘れ去られたサッシ地区。 その後独創的なこのサッシが1976年にマテーラ市の企画で大きな転換をはじめる。当時は非衛生で、貧民の巣窟として嫌がられたサッシだが、 個性的な住居と環境、イタリアでも例を見ない洞窟教会など年々人々の注目を集めだし、現在は南イタリアでも注目の観光スポットとして、 年々発展しつつある。
フレスコ画が今も残る洞窟の教会

「このマテラのサッシには合計約130にもなる洞窟教会が点在するんだよ」 「えっ、130もあるの、随分多いね」 「ギリシャから多くの僧がイスラムなどの迫害を逃れここに住み着き始めた頃から徐々に洞窟教会が増えていったんだ」 年代は10から13世紀に建築されたものが多いように思えるが、どこまでが天然の穴で、どこからが人工的に掘られたものなのか? ビザンチンやロマネスク、そして、下には全く違うフレスコが描かれている!!
S.Maria de Armenis, Convicinio di S.Antonio, S.Lucia alle Malve, Madonna de Idris, S.Giovanni in Monterroneの5つの教会の入場料がセットになった共通券
大人一名 5ユーロ (注: 13:30〜14:30は昼休み)
問い合わせ  Sassi Urban Network
Tel 0835-319806 sun@sassi.info

サンタマリア デ イドリス教会 カヴェオーゾ地区
サンジョバンニ イン モンテローネ教会 カヴェオーゾ地区
サンタマリア デ イドリス教会
ごつごつした岩の上に十字架が特徴的。実は2つの教会が合体している。入り口の部分が、イドリス。奥の部分がサンジョバンニ。 ビザンチン様式のフレスコ画が残る内部は、 当時一般人の住居として使われた時代があり、特に一番奥の部屋は、空間の確保からいくつかのフレスコ画が崩された悲しい事実も。 それでも素晴らしい保存状態のフレスコ。幾つかは、下からは、全く別の絵がひょっこり見えている。 教会前のテラスは映画”奇跡の丘”撮影された場所でもある。
サンタルチア アッレ マルベ教会 カヴェオーゾ地区 
マリアと大天使ミカエル
マテーラ最初のベネディクト会の僧院であったこの教会は、入って左の三廊式空間に「授乳の聖母」、「大天使ミカエル像」、 このようなスタイルでイエスキリストに授乳しているマリア像は大変珍しいもの。洞窟教会内の柱に無数にある、小さな穴は、湿気を逃がすためのもの。少々大きな穴は、食料を保存しておくためのもので、上のほうにあるのは、ねずみよけだとか。入り口正面の柱には「聖グレゴリウス像」そして、名前の通り堂内には、聖ルチアの礼拝堂もある。聖ルチアは目の神様でもある。
コンビチーノ ディ サンタントニオ 教会 カヴェオーゾ地区
広い内部
カサルノーボーの断崖に立つ、4つの教会が合体した場所。坂を上りエレガントな ゲートをくぐり、一番奥の教会は最初に建てられた教会で 当時は数え切れないほどのフレスコ画が壁に描かれていた。現在は聖ドナート、聖レオナルド、聖ドロテアなど、数体のフレスコ画を残すのみ。天井中央部分の格縁などは保存状態がとてもよい。地下に下るほど、洞窟ならではの湿気が立ちこめ、なんとなく、怖い雰囲気も…。とにかく大きく堂々とした教会。
当時の生活ぶりを再現! 
入場料 1.50ユーロで年中無休
Casa grotta di vico solitarioはマテラ観光に欠かせないスポット。なんと日本語の説明テープもある。 当時使われていた家具や農具を配置し、洞窟住居で人がどのように生活していたか?を説明してくれる。 唯一の通気口は玄関ということで、必然的にキッチンは玄関横。家畜との共存のため家畜小屋は一番突き当たり。 寝室に置かれたベットの下では鶏を飼うため、ベットは異常に足が高かったりと、まさに知恵の凝縮した生活ぶり。
Casa grotta di vico solitarioホームページ
映画とマテラ
ローカルガイドのエンゾさん

新約聖書の「マタイによる福音書」を映画化した、パゾリーニの作品「奇跡の丘」。 「キリストの聖地エルサレムの部分はこのマテラで撮影されたんだよ、ちょうどここほら、夜景はまさにエルサレムって感じでしょ?」 なるほどキリストが生まれてきたエルサレムの馬小屋がありそうな雰囲気。 このテラスは、サンタマリア デ イドリス教会前のテラス。そのほか、「天空の城ラピュタ」のイメージはこのマテラから得たとか、そして、2004年にはメルギブソン監督の映画”パッション”もマテラで撮影された。 イタリアの名監督、ジュセッペトルナトーレの「明日を夢見て」もシチリアの街という設定で、マテラで撮影された部分もあるのだ。

ALBEROBELLO 〜創意工夫でうまれたトルッリ〜

 あの不思議な形の円錐形の建物トルッリは、一体どうやって作られているか?はジュゼッペ・マッフェイさんのお店のミニチュアを見せてもらえば と〜っても良く解る。一つのトルッロを作るのに約3ヶ月から、3ヶ月半かかるといわれているが、その大半は、石の加工期間。 適切な大きさの石や、屋根の部分に使用する薄い石を準備し、たった2週間で組立てしまうそう。そして、印象的な白壁も、このプーリアの土壌に多く含まれる石灰をまるでペンキのような塗料に変えて、どんどん上塗りさる。

●スレート(LE CHIANCARELLE)
 そもそも石灰質のカルスト台地なので、トルッリの原料となるCHIANCARELLA(スレート)が地面を掘れば出てくる。 テレーザさんによれば、畑を開墾するときも、まず土を入れてからでないと話しにならない。「掘れば石が出てくるから、 畑には出てきた石で垣根を作っているでしょう、ほら」と教えてくれた。なるほどここまで来る道のオリーブ畑には、 殆どに石の垣根があった。なので、あの可愛いトルッリは豊富な石にやり場に困った住民の創意工夫で作られたと言っても 過言じゃないでしょう。

●尖塔(I PINNACOLLI)
 屋根のてっぺんを見れば気がつくけど、いろんな形をしている。 一般的に3つの石を組み合わせて作られていてそれぞれに意味を持っている。

●屋根のマーク(I SIMBOLI)
 屋根の部分には不思議なマークが書かれている。キリスト教意外の異教徒とキリスト教の物とがあり、 昔は住民はその源が別々の家族の寄せ集めだったからだ。その中のいくつかは災いから家族を守るという意味だったりと 考えられている。

アイアピッコラ  生活感漂う居住区
この地区は約400のトルッリがある。

トゥルッリのその殆どが現在もなお住居として使われている。駅から来ると、 モンティ地区の手間の広場を左に曲がった所になる。外にイスを出し腰掛けて、話す住人達が、 「中に入って見てみていいよ」と気軽に声をかけてくれる。見せてもらったお家の梁は、昔ながらのオリジナルで、 小さなロフトがその上にあった。昔ながらのものを残して保存していくのはどこの国も同じだが、高くつくらしい。

クラシックカーと似合う町


「この家を改築した時に床のタイルは新しいものと交換しちゃったけどね、お家はおばあちゃんから受け継いだのよ」とシニョーラは言っていた。 気さくな会話と、はためく洗濯物やキッチンから聞こえるラジオの音がなんだか情緒たっぷりで、まるでタイムスリップした気分。

トルッリの中にパーキング おばあちゃんとアルベロベッロ
モンティ  地区いっぱいに点在するまさに、トゥルッリの里
丘のてっぺんに建っている

7つの通りから構成されているこの地区には、約1000のトルッリが隣接して建っていて、まさにトルッリの里。 道から小高い丘に向かってトゥルッリがにょきにょきと建っている風景には「はるばる来たな〜」といった感が…。前出のジュゼッペ・マッフェイさんのお店もこの地区にある。 緩やかなのぼり坂を上がり、あの有名なトルッリのSant'Antonio教会を見学。

まるでキノコの森のよう…

教会のそぐ側のレストラン、サジタリオで遅い昼食。気取らない地元の料理で、なかなかのもの。 その後正面の公園の裏手に廻ると、知らなかったがアイアピッコラ同様、住居に使われているとっても静かなゾーンだった。 モンティ地区の中にはレストラン、お土産屋さんがほとんど。驚いたのはみんな日本語で話しかけて来ること。こんな南イタリアの小さな町で、まさか日本語で話せるとはびっくり!


番犬君が屋根にひょっこり お土産物屋が並ぶモンティ地区
ポンペイとエルコラーノ

エルコラーノ/古代ローマ時代の別荘地

遺跡の外観
ナポリから私鉄ベスビオ周遊鉄道に乗り、約20分、エルコラーノの町に到着する。駅を出てまっすぐ坂道を下ると遺跡の入場門に到着する。ポンペイとの一番の違いは別荘地として栄えたという点で、栄華を極めた邸宅が軒を連ねる。また、79年のベスビオ火山大噴火の際、溶岩が直接噴火口から滑り落ちてきたため、厚い岩盤に覆われ発掘作業が容易に進んでいない点も大きな特徴といえる。そういった背景から、溶岩が流れ落ちてきた際に、木で作られた部分は一瞬にして炭化してしまった。さらにその溶岩は海に向かって流れ、海辺の船着場で救助を持っていた多くの人たちは流れ落ちた溶岩が出す、高熱の水蒸気の犠牲となり、多くの人間が炭化したという悲劇が残っている。

ポンペイ/商業都市として発展したあまりにも有名な町
ファウノの家エントランス
西暦79年の大噴火で埋もれた古代ローマの町としてあまりにも有名なポンペイ。一度遺跡の中に足を踏み入れると、総面積63ヘクタールという広大な遺跡のスケールに驚くはずだ。さらに、当時の生活を容易にイメージできるほど、保存状態は素晴らしく、2000年以上前の出来事とは到底思えない。初めてここを訪れるなら、メインゲートのマリーナ門から入ることをお勧めする。入り口からの一本道は見所のフォーロと呼ばれる町一番の広場につながり、さらにその向こうには、アボンダンツァ通りが繋がっているのでわかりやすい。メインゲートのマリーナ門では遺跡の地図、オーディオガイド(日本語なし)の貸し出しも行っている。
エルコラーノ遺跡 公衆浴場のモザイクとネプチューンとアンフィトリテの家の噴水
タコのモノトーンモザイク
 公衆浴場は、男湯、女湯に分かれていたが、エルコラーノの男湯公衆浴場のモザイクは、海の生き物をイメージした、モノトーンカラーの素晴らしいモザイクが今もなお、きれいに残っている。上げ床式の間を熱風が通るように空間があったことが陥没していることで良く分かる。

 色々な色の石を使った、美しい噴水を持つ家。ギリシャ神話の登場人物である水の神”ネプチューン”とその妻”アンフィトリテ”を描いた噴水はエルコラーノの遺跡の大きな見所の一つ。この家には、そのほかにも練りガラスと色の石で作られたモザイクの噴水がある。
エルコラーノ遺跡 仕切り板の家とアウグストス信奉会
 遺跡の北端の一角にあるアウグストス信奉会当時のForo(町機能の中心地のフォーラム)の役割を果たしていた。初代ローマ皇帝アウグストスを信奉する会が集った場所で、解放奴隷たちがここに入るには、社会的に大きな貢献をなしたとみなされ、名誉であった。素晴らしいフレスコ画が今でも残る。その一部、天井を見上げると所どころに残る炭のあとは、ベスビオが噴火した際に、熔岩が一気に流れ落ち、その高温から一瞬にして木が炭になってしまった証拠だ。木のほかにも、このエルコラーノ遺跡の中には、炭になった縄なども見学することができる。噴火の熔岩が持つ、熱のパワーを改めて感じてします。
炭化した木の扉
 入り口のアトリウムと呼ばれる空間には、水を張る小さな水槽がどの家でもあるが、そのアトリウムと、食堂を仕切っていた木の扉は、ベスビオ噴火の際に、やはり高熱により一瞬にして炭化した。この引き戸式の扉が当時、外から来る人と、この家のプライベートな人の空間を分けていたと思われる。炭になった扉は、上にかぶさったプラスチック版からでもその木目が充分見て取れる。
STORIA DA UN'ERUZIONE NAPOLI 噴火の歴史 ナポリ考古学博物館特別展示より
ナポリで2004年夏行われた
 ポンペイ、エルコラーノなど、カンパーニャ州一体の古代ローマ時代の重要な遺跡から出土したオリジナルを多数抱えるナポリ考古学博物館。 今回のこの特別展示での見所は360度のスクリーンに映し出される、当時の平穏生活から発掘までのスポットイメージ、 多数展示されている金の素晴らしい宝飾品、エルコラーノから出土されているScheletroという、 重なり合って亡くなっていった当時の人間のおびただしい骸骨群と、Calchi di gessoという、ポンペイ名物(?)の石膏で固められた当時の人間像などであろうか? 一番大きな部屋では常設展示を移してポンペイからの出土品を集めている。 ナポリ考古学博物館にて、2004年春から展示が始まったこの特別展はヨーロッパ諸国、アメリカを経て、現在2006年4月28日より、東京渋谷のBunkamuraにて、展示が行われています。
Scheletro スケルトン エルコラーノ
おびただしい数の骨格
 何とかして噴火から逃れ、生き延びたい。町を捨て、海へ向かって走った人たち。海へ向かう細いトンネルまでたどりついた所で、 追っ手の溶岩が一気に流れてきた。400度近い溶岩ではひとたまりもない。この重なり合った12体スケルトン群の中から発見された 炭になった麻やウールといった布端は恐らく息を吸うために使われ、金装飾品などの貴重品は自宅から持ち去るためだった。 エルコラーノの遺跡内にも同様のScheletroがある。
STORIA DA UN'ERUZIONE NAPOLI 噴火の歴史 ナポリ考古学博物館特別展示より エルコラーノ編
籠の中から出てきた硬貨のかたまりは、Scheletroから出土したもの 玉髄めのうのカップと多種のマテリアルの首飾りはスケルトン郡から出土したもの。おまじない的な要素を持つ 20体の骸骨群の一男性の横から出土した箱の中からは、メスやピンセット、シリンダーなどの外科手術セットが発見
STORIA DA UN'ERUZIONE NAPOLI 噴火の歴史 ナポリ考古学博物館特別展示より エルコラーノ編
エルコラーノの浜にあった、身長なんと180CM(当時としては巨人)の剣闘士の刀 La casa di M Pilius Primigenius Granianus 当時の家の持ち主の名が刻まれた、はんこ式の指輪。この家から炭になったゆりかごも発見されている。この家の名はこの指輪に由来する 繊細な金細工の装飾品
calchi di gesso di Pompe 石膏像 ポンペイ
形相が生々しい
 平均身長、奴隷と貴族の衣服の違いなどなどPOMPEIANI(ポンペイ人)の謎解きに大きく貢献した石膏型の人間。 灰によって堆積した地層の中から不思議な穴の存在に気がつき、石膏を流し込んでみた。 年月が液体となり、ガスとなり体を外界へ排出し、残った骨や歯のついた人間型が作られた。 今回の展示では大人2人、子供2人の痛ましい家族、かばいあう男女など切ないシーンが…。 表情や、衣服など、全てが生活物語る貴重な証言だ。
STORIA DA UN'ERUZIONE NAPOLI 噴火の歴史 ナポリ考古学博物館特別展示より ポンペイ編
La casa del bracciale d'oro 出土品の中で一番重たい金製の装飾品(610g)。
このブレスレットが出て来た家に金のブレスレットの家という名が付いた
Porta NolaGranianus このカンデラで暗がりを照らし、噴火が落ち着いたら又家に帰れるだろうと思い、女性は自宅の鍵を持ってきていた。 l quadriportico dei teatri 62年の地震後は剣闘士の練習所で刀、仮面、道具などに加えて不思議な事に女性禁制の場所から金装飾品が
STORIA DA UN'ERUZIONE NAPOLI 噴火の歴史 ナポリ考古学博物館特別展示より ポンペイ編
Porta Marina 女性の横から経済向上の守り神Mercurioの像が出土。 La villa di Lucius Grassius Tertius
上記のハイテク人間像が出土した家は住居でなくワインや農作物を売る販売所だった。金貨、デナーロ銀貨
La villa di Lucius Grassius Tertius 数々発見された金製装飾品。
Calcio della fanciulla di Oplontis 新石膏像 オプロンティ
ちょっと怖い…
 1984年に最新テクニックを屈指し作られた人間像。従来の石膏ではなく、石膏と蝋のミックスした構成物で中を固め、 外側は石膏と松脂の構成物を使い可視性を出す事によって、今まで目に見えなかった、当時の人間の体の中まで見える (実際骨の位置などは非常にわかりやすい)事が特徴。歯がくっきり残っているためかなり怖い。 Villa di Lucius Crassius Tertiusより出土。
アマルフィ海岸
全長50Kにも及ぶソレントからサレルノまでの海岸線すべてが世界遺産
>>ソレント
 アマルフィ海岸の玄関口はなんと言ってもこのソレント。民謡「帰れソレント」で世界的に有名で常に観光客が耐えない。特に年配のアメリカ人、イギリス人などのツーリストに人気のようで、海辺にはEXCERSIOR VITTORIOをはじめ高級ホテルが立ち並ぶ。町の雰囲気は常に明るく夏場は夜遅くまでレストランや土産物屋も開いていし、近郊のリゾートホテルやレストランがほとんど閉まる中、ここソレントは開いている店が多いのが特徴。また、カプリまで20分、ナポリまで一時間、夏の間はアマルフィやポジターノを結ぶ船も運航されるので、ここを拠点に観光をするのもお勧めです。
ナポリからの行き方
・Cirucum vesviana(ベスビオ周遊鉄道)にてナポリ中央駅地下からsorrento行きにて約1時間
・Aliscafi(高速船)にてナポリMorobeverello港より一日数本運行 (7.50Euro)
カプリからの行き方
・Aliscafi&Tragehtti(高速船&フェリー)にて数社運行(10.50Euro)/冬季は本数がかなり少なくなる。
PIAZZA TASSO/TASSO広場
 駅前ロータリーを降りてすぐの道を左に200Mほど歩くとソレントの中心PiazzaTassoに出る。 ここから伸びるCorsoItaliaにはブッティクやカフェが並び、 右の路地を入れば、お土産屋さんやレストランが立ち並ぶ旧市街地。車が進入できないの地区なので、 安心して散歩ができる。カンパーニャの特産リモンチェッロを試飲させてくれるお店や名産寄木細工の店もならぶ。 また、広場横の階段をひたすらジグザグに降りていくとカプリやナポリへ接続する ソレントの港に到着する。
VILLA COMUNALE/市民公園
 市民の憩いの場で素晴らしい眺めが一望できる展望台にもなっている。テラスからはベスビオ火山と紺碧の海が見え、眼下には水中翼船が行き来する港が見える。夏には公園の中にあるカフェでのんびりするのも気分がいい。公園入口の横には小さな、中世の回廊があるので、開いている時間に訪れたなら中に入って見学してみては(無料)
LE CITTA' DINTORNI/ソレント近郊の町
ソレントは4つの市町村団体から成り立ち、その全てが断崖の上に町があるのが特徴。 ナポリから車でくる一本道、遠景から断崖の上に町がたっている様子がわかる。 ソレント半島の先には小さな町が点在している。NeranoやMarinadel cantoneなどは、 ソレント駅前からSITA社のバスで行くことができる。ソレントより先はオリーブの樹が茂り、 レモンやオレンジ畑が広がる自然いっぱいの景色で、ここから臨むカプリ島は 手に取るように近く感じる。 また眼下のビーチには、公園入り口横にあるエレベータで降りることが可能。有料のビーチが4つある(夏季のみ)。
Shopping / 寄木細工の小箱
ソレントの旧市街には、寄木細工の手工芸品を扱うお店が多く、柄はソレントの風景から、 花や自然をモチーフにしたもの、色も豊富。 オルゴールになっているもの(曲は帰れソレントばかり)となっていないものがある。 20ユーロ程度から購入できるので、気軽に買えるお土産だ。一つ一つ手で作られているオリジナル品で、ソレント以外では見つけにくいので、ここでGETしたい。
ANTONIO ERCOLANO
住所 Via dell'Accademia n.45 80067 (NA)
電話 081-8782416
>>アマルフィ
ユネスコの世界遺産に登録されたアマルフィ海岸の中心地。中世初期に海洋貿易港として ベネチア、ジェノバに先駆け発達した町は、貿易港らしくアラブの影響を受けた 歴史的建築物が海のブルーに映えてエキゾチックな雰囲気。 常に観光客を魅了してきた誇り高い海洋都市だ。 西洋で始めて羅針盤を開発し、航海術を大幅に発展させたフラビオジョイアのブロンズ像が町の玄関口にある。マリーナ門をくぐれば、町の中心Dumo広場に到着。このDumo広場を中心におみやげ物、レストランが並ぶメインストリートが始まる。左手をちょっと入ると、敵の侵略を防ぐべく、迷路のようになっている、真っ白な小道が印象的だ。
ナポリからの行き方
・バス(SITA社)にてMOLO BEVERELLO内SITAバス停から一日数本が運行している。(所要時間約1時間半) ※乗換えず行けて便利だが。乗り物酔いに弱い方要注意!道路の状態で2時間近くかかることもあり。
・Traghetti (Comune di Napoli//数社共同運航)
夏季のみナポリMorobeverello港より一日2便運行。所要時間は約1時間。 運行しない可能性もあるので、事前要確認。
Consorzio Metro'delmare 081-551-4037
ソレントからの行き方
・バス(SITA社)にてソレント駅出口からアマルフィ行きバス(チケットは駅1階のキオスクで購入。所要時間は約1時間)
バスの時刻表は:  http://www.sita-on-line.it/campaniatpl.html

・Aliscafi(水中翼線)にてCapri〜Sorrento〜Positano〜Amalfi〜Sarelnoを巡回する路線を利用する /6月最後の土日から9月最後の土日まで(事前要確認)
DUMO/大聖堂
 9世紀に入り、最新の造船技術と海洋術を持ったアマルフィは短期間に巨大な財を築くことに成功した。イタリアのどの海洋都市より早く オリエントやビザンチン帝国、北アフリカとの貿易を振興し繁栄する。その後の外国勢力の支配と 1343年に起こった冬の嵐で街の繁栄はあっけなく終わってしまう。 Duomoは10世紀に漁師の守り神である聖人アンドレアを奉るため建設された。 教会の地下にはアンドレアの頭蓋骨が納められている。 Dumo正面のデザインはアラブ風で19世紀に再構築されたもの。
 ★天国の回廊、博物館、Dumoの入場料は2.50ユーロ
Chiostro di Paradiso/天国の回廊
教会左のミドリと黄のタイルで飾られた鐘楼や Chiostro del paradiso(天国の回廊)はどれもイスラム文化の影響を受けたものだが 特に回廊の流れるようなラインの柱は絶賛されている。アラブ独特の工芸的なアーチを交差させたデザインは必見。この回廊はもともとアマルフィの有力者の墓地だったもの。真っ白な壁が南イタリアの太陽に照らされた、光り輝く。小さな中庭には熱帯性の植物が植えられ、どことなく砂漠のオアシスを彷彿させる。回廊内の各所には当時のフレスコ画が幾つか残っている。回廊横からは、博物館へ進むことができ、博物館の階段を降りるとDumoの地下、サンタンドレアの地下聖堂へ進むことができる。
Museo della Carta/紙の博物館

Duomo前のメインストリートを山に向かって、1Kmほど歩いた場所にある。西洋における羅針盤航海術でいち早く海に出たアマルフィの英雄フラビオ・ジョイアは、製紙業をアマルフィの町にもたらした。13世紀フランスのアンジュー家の時代にDuomo前に流れていた川を封鎖してしまったが、アマルフィの町は、山から海に向かって水が流れている。当時はムリーニと呼ばれる水車がいくつもあり、製紙業に活用されていた。正確な時代は把握できていないが、12世紀中ごろこのアマルフィの町では、手透きの製紙業が始まっていた。現在、作業に使われていた水車はほとんどなくなってしまったが、博物館内に数基残っている。パピルスと違い、天然繊維(コットン、絹、麻などの繊維)を使い、紙は手透きで一枚一枚丁寧に作られていました。当時は公式文書用の紙として珍重されましたが、そのご、一般にも広く利用されるようになりました。博物館内でもちょっとしたお土産を購入することが可能。また、アマルフィのマリーナ門を入ってすぐの左手にも、アマルフィペーパーを専門に扱うおみやげ物やもあり。

★入場料:ガイド付き3.50Euro、ガイドなし2.60Euro
営業時間:10:00〜18:00(毎日) http://www.museodellacarta.it

Bar / お菓子とお茶
Dumo広場の一角にあるBARで創業は1830年。近年リニューアルした店内は明るく、ショーケースには手作りのお菓子が並んでいる。この地方のお菓子『デリッツァイア・アル・リモーネ』はもちろん、アマルフィで取れたレモンやオレンジのピール(皮)を甘露煮にして、チョコレートコーティングしたものもお勧め。もちろんエスプレッソと一緒に食べればサイコウに美味しいのだ。
BAR SANTANDOREA
住所 Piazza Duomo AMALFI (SA)
Shopping / レモン製品
海Dumo広場の一角にあるお店入口飾られたレモンにまず注目!子供の顔と同じ位の大きさのレモンにびっくり。 カンパーニャ州の特産リモンのリキュール手作りの『リモンチェロ』をはじめ、ジャム、香辛料、チョコレート、 香水、化粧品などをトータルに扱ってる。お土産に持ち帰りたいリモンチェロ200ccは5.20ユーロから。

Antichi Sapori d'Amalfi (Punto Vendita)
住所 Piazza Duomo39 AMALFI (SA)
Ristrante / 新鮮な魚介の味なら....
このアマルフィ一帯採れた魚のみを扱うシーフードにプライドを持つレストラン。 イワシを凝縮して作ったソースを絡めたリングイーネや、カネローニ、エビの串焼きなど。 海が近いから魚が安いと思っていませんか?実は肉より高い場合が多いのですが、 イタリア料理の中でも新鮮な食材の持ち味を活かす南イタリアの料理法を味わってみよう。
La Caravella
電話 089-871029
>>ポタジーノ
 日本でも名前が浸透しつつあるポジターノは、「北のリグーリア」「南のポジターノ」と代表されるように、 夏場には高級リゾート地として世界中から有名人がこの小さな町に詰め掛け細い路地は観光客で大渋滞。 デンゼルワシント、ダスティホフマンなどハリウッド俳優もバカンスにやってきた。
もともと漁師町だった小さな入り江では、地元の画家がポジターノの風景を書いていたり、砂浜に続く狭い路地にポップな色のビーチファッションや土産物屋がならぶ。

★車は途中の広場までしか進入できないためビーチ近くのホテルへは、広場からポーターを呼ぶシステムになっている。
ナポリからの行き方
・Traghetti (Comune di Napoli//数社共同運航)
2002年夏よりMorobeverello港より一日2便運行。所要時間は約1時間。 運行しない可能性もあるので、事前要確認。
Consorzio Metro'delmare 081-551-4037
ソレントからの行き方
・バス(SITA社)にてソレント駅出口からアマルフィ行きバス(チケットは駅1階のキオスクで購入) でポジターノで下車(所要時間は約40分)
・Aliscafi(水中翼線)にてCapri〜Sorrento〜Positano〜Amalfi〜Sarelnoを巡回する路線を利用 /6月最後の土日から9月最終週末まで(事前要確認)。
Passeggiata dalla piazzetta alla spiaggia/散歩 広場から砂浜まで
 ポジターノの町へ続く長い、長いPASITEA通り。ゆっくりとしたくだり坂を下ると名前がCRISTOFORO COLOMBO通りに変わる。小さな広場に到着。車はここまでしか入れない。広場からの一本道をとことこ歩くと約10分程度で砂浜へ到着する。広場から砂浜に続く道にはこの一帯で栽培されているレモンを使った製品を売る店や、近年注目されているポジターノモーダ(麻やコットンなどの天然素材で作られるビーチファッション)の店が軒を連ねているので是非のんびりと眺めながら散歩をしてみたい。
Chiesa di S.maria assunta e la spiaggia/サンタマリアアッスンタ教会と砂浜
 砂浜の手前にある黄色と緑のマイヨルカ焼きのタイルが丸い屋根のクーポラに装飾されたサンタマリアアッスンタ教会は町のシンボル。 なんとなくアラブチックな雰囲気。毎年8月15日(フェッラゴスト)はアッスンタの日でそれにちなんで海でで花火が打ち上げられる。 正面は真っ白でシンプルな建物正面はPiazza Flavio Gioia 西洋で始めて羅針盤を発明したFlavio Gioiaはここポジターノ出身。彼の名前に由来する小さな広場だ。 ビーチ前には3軒のオープンレストランが並んでいる。
Escursione / 現地ツアー
ポジターノからボートに乗って、小さな「Galli島」をめぐったり、昔ながらの面影を残すフローレの入り江、エメラルドの洞窟、カプリ、アマルフィなどポジターノ発着のエクスカーションが多数ある。そのほかゴムボートやミニボートのレンタル、ボートタクシーもある。夏の一日リゾートで遊び倒すならボートの一日レンタルなんていかが?海から見るポジターノの町は、陸から眺めるよりもっと素敵なはず。ボート一日レンタルの目安は250ユーロ〜
★LUCIBELLO (Spieggia grandeのガゼボがインフォメーション)
TEL:089-875032  www.lucibello.it
Shopping / オーダーメイドサンダル
海岸へ降りる途中のお店。小さい入り口の周りにはサンダルがいっぱい。 革製の手作りサンダルはかかとや飾りパーツ、色などの5種類から自分の好み組み合わせて 作る完全オリジナルサンダル。今年はカラフルな石のついた、明るい色が良く出ているそう。 店が混んでいなければ20分程度でその場で作ってくれる。 婦人・紳士・子供とサイズデザインもオールカバー。 超薄底。で1足35ユーロから。
Safari サファリ
住所 VIA DELLA TARTANA, 2 POSITANO (SA) 
電話 089-811440
営業時間 夏季10:00〜20:30
Servizi/ ポーター&トランスファー

★ポジターノポーターサービス
ポジターノは海から、陸からのどちらにしても、町の中心まで車で入ることが出来ないため、センターに位置するホテルに滞在の場合、荷物を運ぶポーターが必要。細い入り組んだ迷路のような階段の路地を大きな荷物を自力で運ぼうなんて絶対考えないで!
TEL 089-875310 / 24H対応 334-3078371

★アリエンッオ、ラウリートへトランスファーサービス
ポジターノからアマルィ方面へ少し行ったところにあるアリエンッオ、ラウリートの海岸へは港の横から渡し舟が出ている。各施設を利用する場合、渡し舟の料金は無料。(施設オープンは夏季のみ)

>>ラベッロ
 ラベッロは他のアマルフィ海岸の町と違って、ナポリとサレルノを分ける、ラッタリ山脈の丘に位置し、標高約350Mの上空から見るアマルフィ海岸の景観は見事! こじんまりした町には大聖堂、ルッフォロ荘、チンブローネ荘など11から13世紀にかけ建築された建物が集まっている。アマルフィやポジターノといった町に滞在するなら是非たずねてみたい町。華やかなビーチリゾートとちょっと違い大人の落ち着いた町といった雰囲気が漂っている。また毎年夏にはルッフォーロ荘で野外音楽祭が行われることから「音楽の町」としても近年人気が集まってきている。また、映画の舞台としても数回使われいる、見晴台にも是非訪れてみたい…。
ソレントからの行き方  バス(SITA社)
ベスビオ周遊鉄道ソレント駅出口からアマルフィ行きバス(チケットは駅1階のキオスクで購入。所要時間は90分) に乗り、終点アマルフィ下車後同じバス停からSCALO行きの同SITAのバスに乗り換え約30分で到着。
バスの時刻表は:  http://www.sita-on-line.it/campaniatpl.html
DUMO/大聖堂
SITAの停留所があるトンネルを抜けると、DUMO広場にでる。 ラベッロのDUMOは11世紀後半に建築された。入り口中央の扉は1179年に作られたブロンズ扉で、いつも閉まっている。教会内部にはライオンがモザイクの柱を支える美しい説教壇や、 預言者ヨナを食べる怪物がモザイクでかたどられ説教壇(写真)などがある。 どちらも初期キリスト教教会における説教壇だ。モザイクを小さい片でパターンを組んだ「ゴーズマーティ様式」といわれ11世紀の大理石加工職人が 生み出した幾何学パターンといわれている。ビザンチンの影響を受けた華麗な内装は必見。
★見学時間  8:30〜12:30、16:00〜18:00
★大聖堂向かって左にはツーリストインフォメーションもあり。
http://www.ravellotime.it
VILLA CIMBRONE/CIMBRONE荘
 DUMO広場からお土産やの並ぶ小道を歩くこと約10分。町の北側に位置するチンブローネ荘もラベッロに来たなら ぜひ訪れたい。貴族アッコンジャジョコ家の邸宅として使われた後、1904年にイギリスErnet William Beckettに買い取られる。入り口にはやはりビザンチン様式の華麗な回廊や、小さな家があり、曲線をうまく交差させて作った 素晴らしい建物が並ぶ。庭園の奥を進むと大理石の胸像が並ぶテラスに出る。ここから眺める サレルノ湾の180度に広がるパノラマと夕日は格別に美しい。
★入場料 5.00ユーロ http://www.villacimbrone.it
VILLA RUFOLO/RUFOLO荘
 標高350Mの高台、断崖に位置するRufolo荘はワーグナーが『パルシファル』の第二幕を作曲したことで知られる。 一年中花の耐えないテラスからはサレルノ湾のパノラマが広がり、眼下には丸い2つの屋根をもつ教会が見えている。 毎年夏には音楽祭がこのテラスで開かれる音楽の中枢基地。もちろんそれだけでなく、敷地内には1270年に建築された 塔、入場門、中庭、博物館など建築物が咲き誇る花とマッチングして大変美しい。
★入場料 4.00ユーロ
音楽祭の情報はこちら
BEL VEDERE PRINCIPESSA DI PIEMONTE/女王ピエモンテの見晴台
 Ravelloの町をすこし、散歩してみよう。Dumo左横のインフォメーションの先に、のぼりの階段が続いている。せっかくだから、登ってみると小さな広場に出る。左にてこてこ歩くと、まもなく、「Palumbo」の看板が見えてくる。こんな小さな町、Ravelloには実は5つ星のホテルが二つあり、ひとつはここパルンボ、そしてこの女王ピエモンテの見晴台をはさんでもう一つは隣の、パァッツォサッソ。と言うことで、この見晴台は5つ星ホテルに挟まれた、紛れもない5つ星の眺めを持つ見晴らし台。1953年には”Il tesoro dell'Africa”(アフリカの財宝)、同53年にはもう一つ"Beat the devil”でどちらもハンプリーボガードが訪れている。今と差のないこの海を眺めている彼女の写真が公園にあった。ピンクの壁をもつパラツッオサッソーホテルと、眼下に見えたパルンボの庭園をアップしています。
 さて、散歩道に戻りましょう。公園を引き返し、Comune(市役所)の前を通り道に沿って歩くと、今度は犬がワンワンと向かってきます。そう、この崩れそうながらも、素敵なビザンチン風のデザインの建物は作家”Andre' Gide"が1902年に、Edward M Foresterが1928年にどちらも訪れた家。作曲家ワーグナーをはじめ映画や作家、アーチスト達がここを訪れ芸術活動を引き起こさせる不思議な空気とエネルギーが今日もここに満ちているような気がする。
>>ビエトリ
  アマルフィ海岸の終点サレルノから程近い手書き陶器の小さな町ビエトリスルマーレ。 「海の上のガラス」の名に相応しいく、町のあちこちには手書陶器の看板や 標識、ベンチなどがあり、なんとも楽しい雰囲気になる。素朴な柄やぼってり感が愛らしいので 時間があったら寄ってみたい場所だ。
町の入り口は小さな広場になっていて、広場正面には数件の陶器のお店が軒を並べている。広場から続く町のメーンストリートにも陶器を扱うお店が沢山あり。このビエトリの伝統的な柄はソリメーナ社のマークにもなっている鳥がデザインされたもの。そのほかに動物やレモン、太陽と月など地中海らしい明るいイメージの柄であふれている。
ナポリからの行き方  バス(SITA社)
municipio広場横バス停から一日数本が運行している。(所要時間約1時間半)
※途中下車の旨を運転手に伝えた方が良いでしょう。
サレルノからの行き方  市内バス(オレンジ)
サレルノ駅前のインフォメーションで番号を教えてくれるので、 駅から15分程度。
Fabrica di Solimene
バス停前広場の前のカラフルな変わった形がSolimena社の工場。 このビエトリの町で一番大きな工房だ。工場は見学自由。勇気を出して中へ入ってみると、 おじさんが陶器に色付けしているシーンも見学できた。 乱雑におかれた手書きの陶器があちこちに山積みになっていて、おもちゃ箱をひっくり返したよう。 どれも売り物だけど、値段は町にあるショップと大して差がない。
Via Madonna degli angeli, 7 84019 Vietri sul mare(SA)
Shopping / 陶器
 駐車場広場から町の中心にかけて小さな陶器屋が何件もあり、一件づつ覗くのが楽しい。 レモンやフルーツ、動物、花など地中海らしいデザインをあしらった柄が多く、 店によってデザインも少しづつ違う。エスプレッソ用のデミタスカップは一つ2ユーロ程度、 マグカップは6ユーロ程度。大物から小物までいろんな物がある。
Vietri store
住所 Corso UmbertoT,122 Vietri sul mare(SA)
電話 089-211403
営業時間 10:00〜13:00、16:30〜20:00無休

Copyright Piazza Italia/Propretaria letteraria riservata Piazza Italia 許可済