ユネスコ世界遺産のご案内
イタリアには多くの世界遺産があります。
過去から引き継がれた
貴重な宝物を大切に共有しましょう。
マテラのサッシ

新しく再生する街、マテラ
”毎回訪れるたびに変化している”それが率直なマテラの感想。
サッシと呼ばれる洞窟住居がある地区に点在していたモニュメントに説明が付けられ、 そこまでたどり着くのにも、案内板がちらほらたつようになり、
私のように、道を知らない観光客にちょっと優しくなったような気がする。 とはいっても、まだまだガイドなしで「ここはどこ?私は誰」状態。
地図を片手にといっても、どこも似たような廃墟地区でまったくのお手上げ状態。 ガイドのエンゾさんと共に廃墟の中を歩くと、近代風に改築した面白いホテルの話や、
洞窟住居の中でおみやげの焼き物に色をつけているおじいちゃん、昔の暮らしぶりを紹介した家など、
あちこち説明してくれる。彼のようなマテラに住む若者達のこの町を守ろうとする、
モチベーションの高さと、行動力でマテラはもっと素敵な街になりそう。
映画”パッション”がマテラで撮影される
キリストの「受難」を描いたメルギブソンの作品
。イバラの冠をかぶらされ、重い十字架の横木を背負い、ゴルゴダの丘で両手両足を釘打ちされた十字架刑の事実を、映画化した。
凄惨感が話題を呼びローマ法王をも巻き込んでの論争に…。マテラでは、特に十字架に貼り付けになったキリストのシーンが撮影された。
世界遺産リストに登録するにあたっては、どのような点で世界遺産としてふさわしいのか、
クライテリア(登録基準)が設けられています。マテラはC(iii)C(iv)C(v)
とCの基準をクリアし1993年ユネスコの世界遺産に登録された。★渓谷の反対から見るマテラ
★車で町を出て、Laterza、Taranto方面へ。反対側から見るマテラの町。原始時代を思わせる手つかずの洞窟住居が点在する地区へはナポリ発着日帰りツアーで可能(要リクエスト)
★マテラの町歩き
場所を示す矢印が点在するロマネスク様式の美しい大聖堂のある、チビタ地区は、町一番の高台。
大聖堂をはさんで南側がカベオーゾ、 北側がバリサーノ地区。岩場の居住地をサッソと呼び、 複数形がサッシとなるわけだ。
マテラはイタリアでよく見られる、凝灰石で、なんと、先史人が自然の侵食でできたさまざまな形の穴を利用してすでに住み着いていたのが起源。
何層にも重なり合って、崖の下から上へ伸びている洞窟住居なので、家屋の屋根が道路だったりするのは当たり前。
そして、5〜10軒の小さなコミュニティ(ヴィチナーティ)毎に、公共の中庭や井戸があるスタイルが特徴的。
町の中には洞窟教会への道順が書かれた看板もあり、以前に比べ、格段に解りやすくなってた。マドンナデイドリス教会の向かいには、Osteria Museoもあり、ツーリストメニューが一人15ユーロで食べ切れないほど出てくるのだ。★サッシ(洞窟住居)再生のストーリー
第二次世界大戦後、近代的スタイルを合理性とし、貧しい人が住み続けた、ごちゃごちゃした非衛生なこの洞窟住居は、
「南イタリアの悪夢」とさえ言われるようになる。実際当時は竪穴式の住居の中に、人間と家畜が同居し、さらにキッチン、トイレも同空間にあり、
何でもござれ状態の生活。追い討ちをかけるように、カルロ レーヴィが著「キリストはエボリにて止りぬ」の中で、人々の生活を
描写したことにより、イタリア全土に向けマテラの状況を告白することとなる。
その後イタリア政府の指導の下、人々は洞窟住居を後にし、高台の新市街区へ移動ししばし人々の記憶から忘れ去られたサッシ地区。
その後独創的なこのサッシが1976年にマテーラ市の企画で大きな転換をはじめる。当時は非衛生で、貧民の巣窟として嫌がられたサッシだが、
個性的な住居と環境、イタリアでも例を見ない洞窟教会など年々人々の注目を集めだし、現在は南イタリアでも注目の観光スポットとして、
年々発展しつつある。★フレスコ画が今も残る洞窟の教会